わにBLOG 日本におけるオルソケラトロジー第一人者である三井メディカルクリニック院長三井石根によるブログ


2006年11月 » 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30


わにBLOG » オサートで遠視治療を始めた理由


オルソケラトロジー


オサートで遠視治療を始めた理由

遠視用眼鏡でイジメに遭って不登校になってしまった

三井メディカルクリニックで行っている屈折矯正治療オサートは、近視ばかりでなく遠視も治療できます。

これは、実はとっても画期的なことで、少なくとも日本ではここだけの技術です。私が知る限り、アメリカで一箇所、遠視に対するデータを学会で発表している所がありますが、その中心人物ドクター・パトリック自身が、「遠視治療のレンズデザインはドクター・ミツイのが一番だ」と言ってくれます。国際学会で何度も発表しているので、ここ数年、日本で遠視治療をやっているドクター・ミツイの知名度はけっこう上がってきました。


でも、ここまで来るには結構苦労しました。まず、遠視に対するデザインは今まで世界中のどこにも存在しなかったので、まずそのプロトタイプに当たるレンズデザインから手探りで開発しました。それらを実際の遠視患者さんの目でレンズフィッティングを確かめながら、さらに良いレンズフィッティングを求めて工夫に工夫を重ねていきました。ある程度の満足が得られるレンズデザインに至るのに、およそ3年がかかりました。


そもそも、遠視のレンズデザインに着手したきっかけは次のようなことでした。三井メディカルクリニックは2000年の5月にオルソケラトロジーを専門的に診療するクリニックとしてオープンしました。当時はアメリカのスタイルに近い診療でしたので、治療可能な近視のレベルも0.1以上の軽度近視に限られ、強度の近視や乱視、あるいは遠視の患者さんはお断りしていました。それらは、いずれも従来型のオルソKでは、治療不可能な状態だったからです。


ところがいざ診療を始めてみると、軽度近視で訪れる患者さんはごく少数派で、その多くが0.1にも満たない強度の近視や、円錐角膜という特殊な形状をした角膜に悩む患者さん、あるいはレーザー手術後に再び近視が戻って困っている方など、さまざまな患者さんから相談を受けるようになりました。今では、これらの患者さんに対してもオサートの技術で自信をもって対応していますが、その頃はテストレンズを試して頂いた患者さんの半分くらいには、治療の開始をお断りしている状態でした。そして時々、遠視で悩む患者さんまで訪れるようになったのです。


テレビなどで報道されると、あまりにも過大評価されてしまうのか、視力に関することであれば何でも治してくれるように思われてしまうようです。しかし当時は、遠視に関する技術は全く持ち合わせていなかったので、お断りせざるを得ませんでした。「大変申し訳ないのですが、この治療はもともと近視を改善させるために開発された技術なので、遠視には治療ができなないのです」と。大変しのびない、切ない想いでお断りしていました。


ある時、京都から親子で訪れた患者さんがいました。聞けば、ずっと遠視で困っているとのこと。まだ小学校低学年の女の子です。眼科に行けば、「遠視の眼鏡をかけなさい」と言われるだけで、遠視の治療が進められるわけでもなく、遠視の度が進むたびに少しずつ厚くなる眼鏡を処方されるだけ。ところが眼鏡が変わるたびに、女の子は眼鏡を着けて学校へ行くのを嫌がり、たとえ見えていなくても「眼鏡をつけなくても不自由しない」と言い張って、決して眼鏡をつけてくれない、とのこと。眼鏡をつけてくれない子供を何とか説き伏せようとしても、一向変わらないので、そのことを眼科で相談すると、「眼鏡をつけなければもっと進む」と言われてしまう。子供と眼科医のハザマに立って、お母さんはかなり参ってしまっている様子。


お母さんは、眼科医の言われるままに、何とか子供に眼鏡を着けさせようと、半分脅迫観念にかられてしまい、ついついお子さんに対して厳しく当たってしまうようです。ついには、お子さんが不登校になってしまったとのこと。


遠視の眼鏡は近視とは逆に、度が強くなればなるほど、目が拡大されて大きく見えてしまいます。お母さんの言いつけに従って、学校で度の強い遠視用眼鏡を着けなければならなかったために、この女の子は「トンボ、トンボ」と揶揄され、それがもとで不登校になってしまったのです。


はたして、これが適切な医療でしょうか?ただ単に、遠視の進行に伴って眼鏡の度を強くしていくことだけが、医療にできることの限界なのでしょうか?もっと何かの方法で、この親子に適切な視力矯正を提供できないのでしょうか?それがもとで、結果的に不登校になってしまうのであれば、どんなに良い眼鏡を処方しても、もともこもないのではないでしょうか?


私は、この話を聞いて、「何とかしよう」と思いました。今の眼科医ができないことに挑戦してみようと決意しました。確かに、それまでは技術的にも難しかったという理由があるものの、そこまでして積極的に全く新たな領域に挑戦するほどの使命感はありませんでした。しかし、目の前で「やっと見つけ出した最後の頼み」とすがりつかれては、「何とかしましょう」と答えるのがというものです。高校時代、剣道部でしごかれたせいか、私には変なところに正義感男気(おとこぎ)があります。変化球を投げられずに、とことん直球勝負してきたために、今まで色々と損もしてきましたが、それが自分に染み付いたスタイルだと思っています。でも、それが遠視のためのレンズデザインの開発に踏み切った原動力であったとも言えます。そして試行錯誤の結果、とうとう、今まで誰も成し得なかった「オルソKとは全く逆のレンズデザイン」に辿り着いたのです。

遠視用オサートレンズの開発の裏には、こんなエピソードが隠れていたのです。

今、この京都の女の子は、遠視が完全にとれて(むしろほんの少しだけ近視傾向にさえ傾けることができて)、裸眼で元気に学校に通っています。彼女のお母さんの顔つきも、すっかり明るくなりました。そしてこのレンズデザインが、今では多くの遠視患者さん達に、大きな恩恵を与えてくれています。

この京都から来た親子の患者さんこそ、オサートの開発を促した立役者だったのです。



TRACKBACK


カテゴリー
最新エントリー
アーカイブ
リンク
RSS

PAGE UP